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まことの保育の実践

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親鸞聖人の生き方に学び、生かされている
いのちに目覚め、ともに育ち合う。

子どもは誰もが親や先生から愛され、自分が認められたいと願っています。しかし私たち保育者は、知らず知らずのうちに自分の物差しで子どもを計り、よい子・悪い子・普通の子などと区別したり、ややもするとそこから差別を生み、子どものいのちの輝きを奪い取っているのではないでしょうか。
子どもたち一人ひとりのつぶやきに耳を澄ますと、そんな私の姿が照らし出され、傲慢な自己に気づかされます。親鸞聖人は法然聖人との出遇いを通して、このような人間の本来の姿に目覚められ、阿弥陀如来の「そのままでいいのだよ」、という慈悲の呼び声を聞信されたのでした。
自分の物差しが苦しみを生じ、その束縛から解き放たれたところに永遠の喜びと、安らぎの世界が広がっていました。聖人はその世界に住し、仏恩の思いから全てのものを隔てなく慈しみ、常に明るく力強く生きられたご生涯でした。
私たちは自分ひとりの力で生きていると思いこみ、何事もあたりまえと生きています。しかしほんとうは決してあたりまえではなく、他の多くのいのちに支えられ、そのお陰で生きとし生けるものそれぞれに命の輝きがあり、互いにその違いを認め合い、ともに生きともに育ちあうところに「まことの保育」の実践があります。

浄土真宗本願寺派保育連盟発行「ぽーしゃな」より転載

※「ぽーしゃな」とは古代インドのサンスクリット語で、
「養育すること・愛育すること」という意味です。